レッドハリケーンズ

ミルズ・ムリアイナスペシャルインタビュー

経歴

ラグビーとの出会い

― 早速ですが、ラグビーを始めたのは?

4歳のときです。その頃からラグビーを始めて、ラグビーリーグでプレイしていましたが、当時ニュージーランドでは、ラグビーリーグはあまり人気がなかったんです。でも、そのうち、だんだん人気が出てきました。ハイスクールに行く頃には、もうラグビーリーグは定着していましたね。

インタビュー風景

― その頃のニュージーランドだと、ラグビーリーグは恐らくはプロ化されていたけど、ユニオンはまだほとんどされてない状態でしたよね。僕が知っているハリケーンズとかは、クラブチームっていう感覚でしかなかったです。

ちょうどプロに移行しかけていた頃です。1990年代の初頭ですね。半分アマチュア、半分プロみたいな状態で、スーパーラグビーやろうか、みたいな話が盛んに持ち上がってきていました。だんだんプロフェッショナリズムっていうのが導入されてきたんです。

― スーパー15(フィフティーン)のチームって、あれは州代表ですか? そこに入るには、その下にある小さなチームからの選抜で入るんですか?

それはもう完全にプロですね。 以前はスーパーラグビーのチームでも、その州の中から選手を選んでプロのチームを作っていました。今はその規則を変えて、色々なところから選手をスカウトすることができるようになりましたね。

― なるほど。僕、ユニオンを引退後に、2000年にラグビーリーグも経験しているんですよ。イングランドでワールドカップがあった時に、エマージングネイションの部で日本代表として行ってきたんです。当時ワールドカップに出られなかったチームが同じグラウンドで試合をするっていう。だから、ユニオンもリーグもどっちもわかるんです。でもリーグの方が厳しいよ(笑)。

そうかもしれませんね。(笑)

プロラガーマン

― プロフェッショナルといえば、僕がラグビーを始めた頃には日本に来ているプロの外国人選手でも、帰国したら弁護士とか、医者とか、大工をしている人たちもいましたよ。選手たちがプロを目指して進んでいくときは、自分の選手生命や何歳くらいまでプレイできるかなどを考えますか?

今の選手たちはラグビーを引退した後どうしようかなということも、よく考えているように思います。

インタビュー風景

― そうですよね。引退した後、コーチとかもしたいと思うし。

例えば大学のチームにスライドしたりとかですね。そういう人のために週1回、コーチなんかの養成コースを企画したり、また、そういった職場の提供やインターンシップみたいなものもありますね。もしくは、地域でそういう場を設けたりしているところもあります。
今は、学校を卒業してそのままプロになる選手がニュージーランドではすごく増えてきています。学生時代から本当にラグビーしかしていない選手たちですね。なので、ラグビー以外のことも教育していく必要がある。
つまり、人生においてラグビーができる期間は短いので、その後の人生をどう生きていくかということについてもアドバイスをするなど、今、チームとして取り組みを始めたようです。

ラグビーというのは、本当に時間を費やさないと上手くならないスポーツなので大変です。チームが勝つか負けるかで時間なんかも制約されてくるでしょうし。プライベートなことは完全に忘れてラグビーだけに集中しなきゃいけない時間もどうしても必要になってきますし。

けが

― 怪我のことも考えますよね。

そういえば昔、父親によく言われました。「怖がったら絶対怪我するよ」って。

― お父さんと一緒にラグビーやってたんですか?

兄と一緒にやってました。兄は僕より一歳年上だったんですが、チームで一番年下だった僕をみんなが狙って、で、「負けた」って言って泣いて。その頃は本当に怖かった(笑)。そんな時に父親が僕のところに来て「そうやって怖がってると絶対怪我するぞ」って言われたんです。
怖くはなくても、メンタルっていうのは非常に大事だと思います。スイッチが入っていないと、絶対に怪我をしますからね。

― 怪我をするところはどこが多かったですか?

手足や足首の骨折、背中もありましたね。

― 膝は大丈夫でしたか? 靭帯とか。

膝の怪我は選手生命に関わってしまうこともありますが、幸運なことに、膝は一度もないです(笑)。

― ということは、受け身がうまいっていうことかな。

じゃなくて、逃げるのがうまいですね。受けるのがうまいんじゃなくて逃げるのがうまい(笑)。

― 受けるのがうまくなると選手生命ものびますからね。僕の場合、タックルされた時に怪我をしない秘訣は、いいタックルは素直に受けること。本当に危ないときは飛び上がると大丈夫なんです(笑)。ジャンプしてグラウンドに転がると、膝に影響はないですね。

じゃ、それ憶えておきます(笑)。

オールブラックスのこと

― ミルズ選手はU-19やU-21の代表にも選ばれていますよね。最初に入ったチームはブルースでしたっけ。もうその時はプロとしてプレーしようと決めてるわけですよね。

16歳のときでしたね。高校を卒業してプロになりました。その当時はまだ、その歳でプロになる選手が少なかったけど、その中の一人でした。
やりたいことがやれるのはすごく嬉しいことです。

― オールブラックス時代にすごく印象に残ってるゲームは?

いくつかありますが、一つは自分が出場した最初のブレディスローカップに勝った時ですかね。

インタビュー風景

― 何年かぶりにニュージーランドがオーストラリアに勝ったっていう?

5年ぶりだったと思います。それまでは最後の最後で逆転されたゲームが多くて。

― それまでもトライネイションズとかでは勝ったりしてますよね?

はい。ニュージーランドにとって、オーストラリアは強力なライバルです。最近のブレディスローカップでは10年間勝ち続けていますが、きっかけは、その5年ぶりに勝った試合でした。僕自身もその試合ですごく触発されましたね。印象深い年です。

― ということは、ニュージーランドではトライネイションズよりもブレディスローカップのほうがちょっと、気持ちが上なんですね。どっちも負けたらだめだろうけど、これだけはっていう。

オールブラックスですから、全部の試合を勝たないといけないんです。トライネイションズもブレディスローカップも、もう本当に同じくらい大事です。全部の試合に勝ちたいんです。だからもちろん、ブレディスローカップでもオーストラリアに負けたくはないんです(笑)。

代表で居続けること

― なるほど。ところで、10年近くもオールブラックスにいたわけじゃないですか。100キャップの記録も達成して、本当にすごい実力のある選手だってことは分かっているんだけど、監督やコーチが変わっていく中で、ずっと選ばれ続ける秘訣は?

毎回、その時のヘッドコーチの家に行って、きれいにお掃除をしたんですよ(笑)。

インタビュー風景

― (笑)本当はまあ、そんなことないと思うけど。

一度代表に選ばれたら、毎回いいプレーをしないと、すぐ落とされちゃうというプレッシャーはありました。
初めてオールブラックスに選ばれたのは2003年、ジョン・ミッチェルがヘッドコーチだった時ですね。その時はワールドカップ準決勝で負けて、その後グラハム・ヘンリーに変わったんだけど、彼とはブルースでも(技術アドバイザーをやっていて)一緒でしたから、そこからだんだん自分のレベルは上がってきましたね。
僕は判断力のあるプレーヤーです。80mを走りきってトライするとか、そういうプレーヤーではないんですけど、判断力とコンスタントにプレーを作っていく、ミスはあまり犯さない、そういうところが起用され続けてきたポイントじゃないかな。それから、時期的にラッキーだったというのもあると思います。振り返ってみると、当時はレオン・マクドナルドと競ってたんですけど、彼と僕の2人くらいで、ずば抜けたフルバックというのがあまりいなかった。現在のニュージーランドには、優れたフルバックはたくさんいますからね。
その頃はちょうど調子もよかったし、1回選ばれたらもう絶対ジャージは離したくないって、ずっと思っていました。ニュージーランドではこう言われています「ジャージをもらうのは簡単。しかし、ずっともらい続けるのは非常に難しい」。それが僕を内側から奮い立たせました。ジャージを絶対離さない、誰にも渡さないって。

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CONTENTS
  • ラグビーとの出会い
  • プロラガーマン
  • けが
  • オールブラックスのこと
  • 代表で居続けること
  • 日本を選んだ理由
  • レッドハリケーンズのこと
  • 大切な家族
  • ファンの皆さんへ
  • 「SpecialPresent」